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作品例
 

1798年、混沌とした革命期のパリに、
新政権のオランダ大使の息子として生まれた。
ドラクロアの出生には様々な憶測が交わされており、
本当の父は大外交官タレーランではないかという説も有力である。

幼い頃から音楽そして絵画とに突出した才能を示したドラクロワは
画家である叔父の勧めにより17才から本格的に絵を学ぶようになる。

そして名門リセ・アンペリアルで学んでいるころ、母親を亡くす。
しかし彼は打ち沈むことなく画家としての研鑽を積み、
サロン初出品の「ダンテの小舟」で見事に入選、政府買い上げという
華々しいスタートを切る。

しかし彼の絵は、死に行く人々のうめき声が聞こえるほどに生々しく
その人の苦しみや絶望を描くことで生のエネルギーを表現する手法は
やがて周囲に恐れられ、非難され始め、「絵画の虐殺」とさえ言われた。

サロンにも拒否され、人々に酷評されたドラクロワは
失意の中でも古典派が強い時代に
たった一人で ロマン派の作風で孤軍奮闘しつづけた。

そして代表作「民衆を導く自由の女神」を発表する。

描かれたのは1830年、
彼自身がその目で見たフランス7月革命が題材である。

残虐さばかりを捉えられがちであった彼本来の生々しい表現は
象徴的な自由の女神を描き入れられることで観念化され、
肌で感じ取った革命のエネルギーと 民衆の熱気の体現は
高い評価を得た。

彼はこの絵でサロンに返り咲き、画家としての地位を確立させた。

「まだ私には400年先までの仕事が残っている」
彼は口癖のようにそういいながら生涯結婚せず、
人生を絵にささげたという。

自らの外見への極度なコンプレックスからしばしば恋に悩み、
病弱で貧しいながら身なりに気を遣い、
穏やかな紳士であったというドラクロアは
「100年後に、皆が私のことをどう思っているか知りたい」と言い残し、
晩年の彼に尽くした家政婦ジェニーひとりに看取られて
静かにこの世を去った。

生涯に遺した作品数は9000を超える。

「フランスの全ての画家は、彼の偉大なるパレットを通して描いている」と
セザンヌに絶賛されたドラクロワの豊かな色彩と人間の生への礼賛は
今でも多くの人々に感動を与えている。
 

Liberty Leading People
Study for the Death of Sardinopolis
Riders Descending Towards the Plain
Liberty Leading People
(民衆を導く自由の女神)

Study for the Death of Sardinopolis
Riders Descending Towards the Plain
Frederic Chopin (1810-49) 1838
Frightened Horse
Horse
ショパンの肖像
Frightened Horse
Horse
     
Bouquet of Flowers
Sketch for The Shipwreck of Don Juan, 1839
La Mort De Sardanapale
Bouquet of Flowers
Sketch for The Shipwreck
of Don Juan
La Mort De Sardanapale