セザンヌの厳しい造型、対象を幾何学的に把握しようとするキュビスム、
アフリカ黒人彫刻のたくましい表現に影響を受けた。
風景画も数点残したが、彼が生涯追及したのは人物画であり、
描かれた人物は瞳を彩られず、異様に長い首をもった。
その単純化されデフォルメされたフォルムと精妙な色調は
優美で哀調を帯びた独自の画風を創り上げた。
その哀調はモデルの「本能的無意識」をえぐり出すものだった。
その生涯は、決して恵まれたものではなく、
酒と麻薬に溺れた日々を送った。
端正な美貌で洒落た服装、
しかし破壊的で羽目をはずしてばかりの彼を、
人々は「モジリアニは豚で、真珠だ」と苦笑したという。
1917年、彼が34歳のとき、
当時アカデミアで絵を学んでいた18歳のジャンヌと 恋に落ち結婚する。
ジャンヌは青い美しい目と印象的な顔立ちをもつ 才能のある娘だった。
それからの彼の描く人物には、美しく優しい青い目が描きいれられた。
日記のように互いを描きあい続けた 多くの肖像画も、
彼特有の官能的で優美な画風の中にも
暖かい愛情を感じさせるものになっていく。
そして1919年グループ展で高い評価をうけることになる。
しかしこのころすでに彼の体は重い結核性脳膜炎に蝕まれていた。
「画家が死ねばもっと値が上がる」
画商たちは絵を売らなかった。
評価 を受けながらも彼のもとには1フランの金も入ってこない。
そして彼は翌年 貧乏の中で没した。
彼の最愛の妻ジャンヌは身重であったが、
彼の病死の2日後、家族の監視を逃れ、窓から飛び降り他界した。