1883年12月26日、パリのモンマルトル地区で
画家シュザンヌ・ヴァラドン(1865-1938)の私生児として生まれる。
父親はルノアールともいわれているが、真相は未だ不明である。
ヴァラドンは18歳でユトリロを産んだ。
お針子やサーカスの芸人などを経て、
ルノワールやトゥールーズ=ロートレック、ドガ、エリック・サティなど、
当時のそうそうたる芸術家を虜にした彼女は
一流画家たちの絵画モデルとなり、
のちには画家となって彼女らしい激しく情熱的な絵を描いた。
彼女と交際のあったスペイン人ジャーナリスト、
ミゲル・ユトリロ・イ・モルリウスが息子として認知し、
以後モーリス・ユトリロと名乗る。
自由奔放な母ヴァラドンは、
数多くの恋愛遍歴や作品の制作で忙しく、
息子ユトリロは祖母の手に委ねられる。
母にかまってもらえない孤独から、
ユトリロは若くしてアルコール中毒に陥り、
精神病院への入退院を繰り返す。
治療のために医師の勧めで絵を描き始めたのが
画家になったきっかけであった。
以降独学と母のアドバイスだけで自分の画風を確立していく。
1910年から1915年頃は「白の時代」と呼ばれる、
ユトリロの絵が最も充実した時代である。
このころ 母ヴァラドンは ユトリロの年下の親友で
ともに絵を描いていた 画家のアンドレ・ユッテルと結婚した。
彼は邪魔者扱いされる寂しさを紛らわすため
今も残るモンマルトルの居酒屋「ラパン・アジル」に入り浸り、
酒を飲みながらモンマルトルの町を描き、
絵を売ってその金でまた酒を飲んだ。
自分の町を静かで詩的な情緒をもって描く彼の絵は
町の人々に愛され、絵の多くは地元の人々が買っていたという 。
30歳を過ぎると彼の絵の評価は劇的に高まり、
画商たちはこぞってユトリロの絵を買い求めた。
その後明るい色彩を用いた華やかな「薔薇の時代」を経て
同時代の芸術動向とは無縁のまま
強い純粋な感覚で独自の画境を確立し大成していった。
51歳のとき、息子の行く末を案じた母の勧めで
年上の裕福な未亡人リュシーと結婚する。
彼は彼女を愛し、信仰に目覚め、
酒におぼれることは少なくなっていった。
しかしそれに伴って彼の絵は次第にオリジナリティをなくしていく。
晩年をすごした パリ郊外の街、ル・ヴェジネの別荘で
画商の求めるままに無感情に多作していくのである。
1955年にアルコール依存症の療養で訪れたダックスで倒れ、
永眠。
彼の愛した居酒屋ラパン・アジルの傍らの墓地に
今も安らかに眠っている。
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