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ゴッホ       
   
 


 

牧師の子としてオランダで生まれた。

事務員、教師、伝道師などの職業を転々とした後、
27歳で画家となる。

弟のテオが画商をしていた関係で、
ドガ、モネ、ピサロ、スーラ、ロートレックらと 出会い、
彼らから印象派の技法を学び、ジャポニズムを吸収したが、
その技法にとらわれることなく表現主義の走りとも言うべき
独自の作風を確立した。

ゴッホは実際に目に見えるものではなく、
心が感じた印象を情熱のままに描き、
原色をそのまま大胆な筆触でキャンバスに重ねていった。

その筆勢は余りに激しく 筆跡が画面から立ち上がるほどで、
27歳で画家になってから37歳で死去するまでの10年間で
描かれたおよそ2000点の作品は
現代絵画を開く重要な先駆的役割を持ち、
世界で最も愛される絵画として評価されている。


彼の画家としての円熟期は、
彼が愛し、憧れた日本と風景の近い南仏アルルに移住した1888年からの晩年2年間である。
10月にはゴーギャンを招き、共同生活を始める。

しかし 二人の強烈な個性は激しく衝突し、
たった2ヶ月ののちに激しい喧嘩の末
有名な耳きり事件がおきる。

ゴーギャンが後に回想としてこの事件をこう語っている。
2人の 議論はまさに激しい電気のようで、
話がすんだあとなどは放電してしまった電池のように
2人とも頭がふらふらにつかれてしまう。
ある日激しい口論に疲れ、散歩に出たゴーギャンに
ゴッホがナイフを持って切りかかってきた。
彼がにらみつけると、ゴッホはすぐ引き下がり、
そのまま「黄色い家」に帰って自分の耳たぶをそぎ落とした。
彼はそれを近くのバーの女に届け、
そのまま帰宅してベッドに倒れた。
連絡を受けた人々が駆けつけたときには
大変な衰弱だったという。
当日家に帰らず ホテルに泊まっていたゴーギャンは
そのままゴッホに会うことなくアルルを去り
これをきっかけにゴッホはアルルから追放されて
精神病院へ収容された。

この精神病院でゴッホは「糸杉」や「星月夜」などの
傑作を生み出している。

アルルで描いた絵によって、
ゴッホはようやくその才能を認められはじめる。
ゴッホの絵で彼の生前に売れたのはたった1枚だが
それはこのアルルで書かれた「赤い葡萄畑」だった。

1890年、療養先で自分の胸をピストルで打ち抜き、
最愛の弟テオの腕の中で息を引き取る。
現在は弟テオと並ぶように
パリ郊外オーヴェール・シュル・オワーズに永眠している。

代表作「ひまわり」は
1888年夏、自分のアルルでのアトリエ「黄色い家」で
画家仲間たちとの共同生活することを夢見ていたころに
そのアトリエを飾るために描かれはじめた。

友人の画家たちに片端から招待の手紙を送り、
12脚もの椅子を買い込んでいたゴッホは
彼の人生の中でも最高に幸せな時を過ごしていたという。

結局手紙に応じた者はゴーギャン一人であり、
ゴッホの夢は破れてしまったが
ひまわりのモチーフは彼を惹き付け、
その後も12点ものひまわりを描いている。
ゴーギャンを迎えるため、仲直りをするため、
そして別離ののちにゴーギャンを思ってかかれたひまわりなど、
このモチーフは彼にとって情熱の象徴となった。

Night Cafe with Pool Table
Bedroom at Arles
Starry Night
Night Cafe with Pool Table


Bedroom at Arles
(アルルの寝室)
Starry Night
(星月夜)
Cafe Terrace at Night
Les Tournesols
Church at Auvers
Cafe Terrace at Night
(夜のカフェテラス)

Les Tournesols
(ひまわり)
Church at Auvers
(オーヴェールの教会)
Cypress Trees
Self-Portrait
Yellow House
Cypress Trees
(糸杉)
Self-Portrait
(自画像)
Yellow House
(黄色い家)