1746年 メッキ職人の子としてスペイン東北部に生まれる。
父の跡をつがずに画家を目指そうと決意した彼は、
宮廷画家として活躍している義理の兄を頼って マドリッドに移住、
やがて頭角を表して、評判の宮廷画家となっていく。
宮廷画家でありながら同時に有名な
「1808年5月3日プリンシベ・ピオ丘での銃殺」や、
戦争を擬人化としたものともいわれる 「巨人」、
一般市民の被爆を描いた世界最初の作品集「戦争の惨害」 など、
“レジスタンス”的な作品も多く描いた。
地位も名声も手にした46歳のとき、ゴヤは原因不明の高熱で苦しみ、
その高熱が引いたときには完全に聴力を失っていた。
それ以降ゴヤは有名な風刺画集「気まぐれ」や代表作「裸のマハ」など、
その地位を賭けるセンセーショナルな画風を際立たせていく。
代表作「裸のマハ」はプラド美術館所蔵で、
「マハ」とは「小粋で自由奔放な女性」をあらわす言葉である。
この名画は絵画史上、初の生身の女性のヘアヌードであり、
神話を描いた裸婦像と異なり人間らしい崩れのある裸婦の姿は、
発表当時 騒然たるセンセーションを巻き起こし
ゴヤは 異端審問裁判にまでかけられた。
裁判では「裸のマハ」、対になって描かれた「着衣のマハ」両作の
モデルは誰かについて厳しく追求されたが
ゴヤはこれに答えず、今でもモデルは明らかになっていない。
「裸のマハ」は裁判以降1901年までの長い間封印されることになった。
ペネロペ・クルス主演のスペイン映画「裸のマハ」は、
マハのモデルの謎をモチーフに撮られている。
おしどり夫婦といわれたトム・クルーズ、 ニコール・キッドマン夫妻を
離婚に追いやった魔性の美女というイメージが先行しがちだが、
故国スペインの至宝をめぐるドラマを母国語でのびのびと熱演し、
その情熱的な演技は高い評価を得た。