1862年
7月14日 ウィーン近郊のバウムガルテンで生まれる。
父は貴金属彫金師で 弟とともに芸術一家の一員として育つ。
工芸学校を卒業すると すぐに宮殿の装飾の仕事などを手掛け、
装飾画家として高い評価をうける。
1890年 ウィーン美術協会に加わるが、
大胆な作風には批判が集まり、
自由な表現を求めて35歳のときに分離派を創設。
立体的に描かれた人物画の中に
古代や中世の絵画のような平面的装飾を取り入れ、
豪華絢爛かつ妖艶な独自世界を確立した。
クリムトの伝統を破るスタイルへの非難はやがて収まり、
世紀末芸術の代表格として仰がれるようになった。
若い画家たちが彼のもとに集まり、
彼も援助を惜しまなかったという。
恋多き人生を過ごした。
彼の描いた絵のように美しい、
「ファム・ファタル(運命の女)」ともいうべき多くの美人たちとの
華麗な恋愛遍歴は有名だったが、
中でも若くしてなくなった弟の妻の妹でもあり、
新進的な女性向けブティックの経営者としても知られた
エミーリエ・フレーゲとは
生涯を通して理解しあった恋人だった。
代表作「接吻」は 発表と同時に政府に買い上げられた。
1918年 2月6日 自宅で脳卒中で倒れ、肺炎を併発して死去。
55歳だった。
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