印象派の父といわれ、 パリの市民生活をテーマに明るい色調で作品を描いた。 法務省の高官と外交官の娘の息子として、 パリの裕福なブルジョア家庭に生まれる。 官僚としての未来を嘱望されていたが、 父親の反対の中絵画の道へと進んだ。 初期の代表作「草上の昼食」は パリらしい洒落たタッチで 裸婦たちの姿をみずみずしく描き出し、 一大スキャンダルを巻き起こすとともに若い画家たちのリーダーとなり、 モネ、ルノワールらに大きな影響を与えた。 ピカソもこの「草上の昼食」をモチーフに連作を描いている。 以降、パリの娼婦や風俗を描いたスキャンダラスな絵を発表し、 物議を醸しながらもサロンへの出品を重ね、認められ始める。 ベラスケスやリベラ、ゴヤなどスペインの巨匠たちから影響を受け、 光と影の強烈なコントラストを取り入れた。 晩年は壊疽に冒され、 左足を切断したが、 手術の甲斐もなく、2ヶ月後に51歳で没した。 死に顔は義妹の女流画家ベルト・モリゾが、 「なんてすさまじい形相!」と悲嘆の声をあげたほど 壮絶なものだったという。 画家になる前に半年間の船上生活を送ったこともあり、 海を愛し、深い知識をもって生涯海を描き続けたことから 海洋画家としても知られる。 「笛を吹く少年」は 1866年の作品で、 現在オルセー美術館に所蔵されている。 友人であった軍の高官が連れて来た、 初々しい近衛軍鼓笛隊員の少年をモデルに あどけない姿を生き生きと描いている。 顔の部分はマネの愛息レオンがモデルであるとも言われている。