1840年、パリ生まれ、5歳からはル・アーブルで育つ。
十代のころから絵が得意で、町の人々の似顔絵をかいては、
画材屋さんの店先に並べて貰い、小遣いを稼いでいた。
その特徴を捉えた絵が評判となり、
この町の画家ウジェーヌ・ブーダンが
17歳のモネを誘って一緒に風景画を描くようになった。
ブーダンはこのころまだ若く、無名だったが
当時珍しかった戸外で描く画家だった。
モネは美術学校には行かなかったため、
古典的な絵の教育を受けることはなかったが
後に「空の王者」と呼ばれることになるブーダンと一緒に風景を見、
「光」と「大気」を描くことを教えられた。
学歴もなく、画風も独特なものであった彼はサロンで成功するには
あまりにも不利であった。
しかし彼は当時すばらしいとされた古典的人物画を書くのではなく
刻一刻と変わる風景を捉え、
34歳のときに「印象・日の出」を描き上げた。
「印象派」という言葉の語源ともなり、
今では多くの人々の絶賛を受けているこの絵も、
当時は「まるで未完成のような絵」と酷評された。
そして30代の終わりごろ、 唯一絵を買ってくれた画家が破産し
苦楽を共にした愛妻のカミーユが二人の子供を残し、この世を去る。
悲嘆と絶望の奈落でモネを支えたのが、
二度目の妻となるアリスだった。
彼はアリスと結婚し、自分の2人の子供と彼女の6人の子供を養うため
故郷ルアーブルとパリの真ん中 ジヴェルニーに空家を借りた。
彼らはその家の庭で野菜を作り、果物を植え、花を育てはじめた。
そして彼の人生は好転していく。
絵は売れ始め、庭には花が咲き乱れた。
彼は43歳から亡くなるまでの40年余りをこの庭とともに過ごし、
ジヴェルニーの庭は彼の「最高傑作」となった。
美しい花、浮世絵にあこがれて情熱を持って作り上げた池や橋
そして彼はついに睡蓮に出会う。
モネの「睡蓮」は彼の生涯最高の連作であり、250点を超える。
晩年、目が見えなくなってきても彼は睡蓮を描き続けた。
現在、彼が半生をすごしたジヴェルニーの庭は
再現され、公園として一般公開されている。
(公式ページ:http://www.fondation-monet.com/)
また、パリ郊外のマルモッタン美術館は「モネ美術館」ともいわれ、
「印象・日の出」をはじめとする多くのすばらしい作品を
見ることができる。
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